あにろっくのブログ

誰かの明日への生きる力になれたらと思います。いやまじめか!

人生の風向きが変わったはなし

いつからか人生が谷底へ。いまもう一度立ち止まってかんがえてみた。

最高の人生の見つけ方 (字幕版)

最高の人生の見つけ方 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
小学生の時分は田舎の小学校で2クラスしかなく、同学年は50人ほど。その中でクラス委員とか班長とか、割とリーダーシップを取っていた。
中学もやはり部活動でキャプテンをやったり、掛け持ちで応援団に所属したり生徒会役員も経験した。高校でも部活のキャプテンだった。大学も1浪して私立大学に入った。大学でも部活で主将、バイトもこなし彼女もできて、無事卒業。はたからみたら、いわゆる勝ち組にいた。
今振り返ると、学生時代はなんとなく他人に与えられた、第3者が望んだ進路に向かっていた。


そこからかな。道に迷った。

大学卒業してすぐに彼女の妊娠。その年の7月には結婚。教員採用試験は申し込みしていたが遅刻して、落胆し受けずに帰ってきた。美容師を目指し経営者と面接、明日から来てと言われたが、彼女に反対されお断り。彼女が求人広告で見つけてきた企業へ面接、合格して就職。そこから10年くらい生活のために働いた。もちろんそこはブラック。毎日12時間労働、希望して休めない。特に繁忙期。給料は良かったのでそれだけのために頑張った。
2000年に第1子、2003年には第2子、2005年には第3子が誕生し、忙しい毎日を送った。会社でもそれなりにリーダーシップを発揮し役職にもついた。ブラックだから人よりも早く出勤し遅く帰宅し、皆がやりたくないことを引き受ければ出世した。

当然、毎日辞めたい気持ちを押し殺して神経をすり減らし、年間100日にも満たない休日で体力は常に回復しないまま月日は流れた。35歳を迎えたあたりで大きなミスをした。会社に損害を与えた。震災のあった年の秋。そのミスからすっかり気落ちして、同時に震災の経験でこのままやりたいこともやれないで生きていくのかという気持ちが転職を決意させた。しかし、人生谷底へ向かっているので上手くはいかない。「営業を極めたい」のと「独立したい」気持ちが強く、どこの会社でもいいからとまたもや求人広告を見て面接を受けた。その日のうちに合格となり翌日から研修受けた。もちろんそこもブラック。3カ月の研修予定が1か月で終了。よく分からないまま商社の営業職に就いた。同族企業のワンマン社長、話はうまいが良く怒鳴る。HSPの私には耐えられなかった。ボーナスも業績次第で4回支給されるところだったが、もらわずに1年で辞めた。洗脳されているので、また前の会社に出戻り。3年頑張ったが結局ブラックなので辞めた。今度は建設会社に就職。社長は同じ高校の大先輩。話もあい「今度こそは」と思ったのだが……
60歳代の社員のパワハラを苦に1年で辞めることになった。建設会社だから良くあることだと自分に言い聞かせ、社長にも相談したが、社長もその社員には何も言えない人だった。社長も3カ月たった頃から高圧的な態度だったし。同い年の事務員さんと65歳の社員さんがいい人だったので1年続けたが時間の無駄だと思い辞めた。

長くなったので明日へつづく。