あにろっくのブログ

誰かの明日への生きる力になれたらと思います。いやまじめか!

障がいを持って生きること

私は障がいしゃではない。が、今朝のニュースをみてなるほどと思ったので記事にする。「女子高生のマスク」という見出しだったのだが、以下箇条書きにする。

アメリカの女子高生がマスクを作成した。

・女子高生の友達は聴覚障がい者

・聴覚障がい者の友達はマスクのせいで読唇術(くちびるのうごき)でのコミュニケーションが困難になる。

・そこで、ブライダル衣装やさんで、口元を透明シートにしたマスクを作成。

・口元を透明にするアイディアは封筒の宛名部分が透明になっていることから生まれる

 

 

というニュースだったのだが、やはり障がいを持って生きる人たちにとっても今回の新型コロナウィルスによる影響はあるわけで、ふだん欧米の人たちはマスクをする習慣はない。コロナのせいでマスクを着用する事になったのだが、日本でこのようなニュースは見聞きしていない。きっと日本人の聴覚障がい者のかたがたも 困っているだろうに。それとも私が知らないだけなのか。

これまでも障がい者にとって生きやすい社会なのか疑問であったが(そもそも日本は生きづらさを感じている人が私を含めて多くいる)、「じぶんとはちがう」人々を受け入れがたい社会なのはまちがいない。横並び社会、ガイジン扱い、集団主義はいまに始まったことではないが。人種差別、性差別、階級差別など枚挙にいとまがない。私が過去に勤めていた会社の社長は差別を「区別だ」と正当化していたが。私のメンタルに悪いのでこれくらいにしておく。

女子高生のマスクの発明のニュースにピンときて記事を書いたが、困っている人に手を差し伸べることはビジネスになる(いやらしく聞こえるかもしれないが)。世の中のビジネスは「誰かの困ったを解決」でできていると言っても過言ではない。ブログもそう。私が「表現したい、発信したい、でもどうやって?うーん、困った。」を見事に解決してくれている。

人と違うことは特別なのか、そもそも特別な人はいるのか、考えがまとまらなくなってきた。こんな記事は失格だ。まあいいか。後で追記すればいい。しかしながら、なんらかの障がいを持って生きる人にとって住みやすく生きやすい世の中は健常者と言われる人にとっても住みやすいはずなのは言うまでもない。