あにろっくのブログ

誰かの明日への生きる力になれたらと思います。いやまじめか!

きみとこのまま3

「私はひとりでは生きられない。そう悟って、大学卒業と同時に結婚した」そう言えたのなら、格好はつくのだが、いわゆる授かり婚だ。彼女と付き合って4年目、1泊2日の旅行で、宿泊先の温泉旅館で2人は結ばれた。後先を考えなかった20代前半、その夜、布団の上で彼女と繋がっているときに、私はこの人と生涯を共にするのだな、と確信した。3か月経った頃だろうか、彼女から「妊娠したみたい」と言われた。妊娠を告げられた直後は、結婚がどういうものか、まったく考えていなかった。数週間後、彼女の家族と自分の家族に、彼女が妊娠したことと結婚したい、という旨を報告しに行くこととなった。

報告する当日、スーツに着替え彼女の家に到着する。玄関で挨拶をしたあと彼女の母親に居間へ通される。ホームドラマのように、彼女の父親が座ってテレビを観ている。彼女の父親がテレビを消しこちらに顔を向ける。居間に彼女の姉と祖母も現れ、私たちを見守る。私が「結婚させてください」と言ったら、彼女の父親が「娘を嫁がせるのか、あんたが婿養子に入るのかどっちだ」と訊いてきた。その時は「婿養子には入らないです」と返したが、いま彼女の父親くらいの年齢になって気が付いたのは、彼女の父親なりの冗談だったのではないかということ。彼女の父親は若かりし頃、暴走族のリーダーだった。夜な夜なバイクを乗り回し仲間を引き連れていた過去がある。そのことは結婚してから彼女の父親の姉に聞かされるのだが、硬派だった彼女の父親からすれば、軟派な私をどう思っていたのかは今となっては聞くことができない。それでも彼女の父親とはなんとなく波長が合った。酒が大好きな人だった。私が彼女の実家を訪ねるたびに宴となる。私も酒が好きなので彼女の父親は、プレミアのついた焼酎や清酒を取り寄せては飲ませてくれた。そんな兄のような彼女の父親。義理の父親だったが50代で癌が見つかった。ステージ4だった。見つかって半年でこの世を去ってしまった。癌と判明するほんの少し前の夏、庭で一緒に焼き肉を食べていたのだが、その時に喉の不調を訴えていた。まさか癌だったとは思いもよらなかった。それまで身内で癌になった人がいなかったので、本やネットで癌について調べたのはその時が初めてだった。亡くなる少し前に彼女の父親に子どもを預かってもらっていたので、挨拶しようと思ったが捜しても見当たらない。仕方がないので挨拶をしないで帰った。その後電話がかかってきて「挨拶もしないで帰るとは何事だ」と言って叱られたのが最後の言葉だった。最後くらい笑ってお別れしたかったが、最後に会ったのは自宅のベッドで呼吸をしているだけの状態だった。私より背が高くがっちりとした身体はやせ細り、もう骨と皮だけの姿になっていた。私が両手で右手を握ると温かかったが二度と目を開けることはなかった。

お義父さんと呼ばせてもらってから亡くなるまでの15年間、私の子供たちをとても可愛がってくれた。お義父さんは初孫の誕生にとても喜んでいた。特に娘にはメロメロで可愛がってくれたし、息子の誕生をとても喜んだ。なぜならお義父さんには息子がいないからだ。暴走族のリーダーは最期、孫たちにとっては優しくて何でも買ってくれる最高のおじいちゃんだった。65歳、「高齢者」と呼ばれる前に亡くなった。最期まで格好をつけたまま逝ってしまうなんて、彼らしい終わりだった。お義母さんは涙が枯れるまで泣き続けた。昔、看護師であったお義母さんはお義父さんの最期をその腕の中で看取ることができた。私は癌で死ぬのも悪くないと思った。なぜなら癌は余命がわかるから。事故やその他の病気では死に目に会うのは難しい。お義父さんとお義母さんは病院で知り合った。バイク事故で入院し看護師のお義母さんに一目惚れ。純愛だったそうだ。当時の悪友が葬式で話していたのを聞いた。喧嘩の絶えない夫婦で、殴られることもあったお義母さん。とにかく酒が大好きでお義母さんに面倒なことばかりかけていたお義父さん。出会いも別れもベッドの上だった。

妻はそんな義父の性格をそのまま受け継いだのではないかと思うくらいに豪快でわがままである。彼女は活発で中学で一緒にハンドボールをしていた。ショートカットで色黒で当時は私より背が高く頭も良かった。そんな彼女とは中学時代あまり会話をしたことがなかった。私には他に好きな人がいたからだ。中学を卒業して高校に入ってから、その好きな人と付き合うことができた。別々の高校になってお互いハンドボールをやっていたので、毎日練習でデートどころではなかった。市の大会で会うことができたくらいだろうか。次第に気持ちが離れていき、破局を迎えた。一方、今の妻も別の強豪校でハンドボールを続けていたので大会で遠くから見てはいた。しかしその時は全く彼女に興味は湧かなかったのである。じゃあどこで、どのタイミングで付き合うことになるのかはまだ後の話。高校1年のときにハンドボールでレギュラーとなり、先輩たちのおかげと運もあって県大会で優勝し、東北大会で準優勝し全国大会へ出場となった。全国大会では横浜の強豪校と対戦しトリプルスコアをつけられ、初戦で敗退となった。彼女(現在の妻)の方も全国大会に出場した。旅館が一緒で、宴会場で彼女の高校と一緒に朝飯と夕飯を食べた。同じ部活の男子校と女子校の唯一の接点といっても過言ではない。互いに異性の目を気にしながらの食事。その時私は、彼女のひとつ上の先輩が好みのタイプだったので、先輩しか見ていなかった。食事後、タコ部屋で男子どもが雑魚寝しながらやれ覗きに行こうだの、誰が好みかだの男子校生は四六時中、(少なくとも私の周りの男子は)女子のことを考えていて、妄想を膨らませているのである。