あにろっくのブログ

誰かの明日への生きる力になれたらと思います。いやまじめか!

遠距離ふうふ完

40代後半で20年以上勤めていた会社を退職した。妻は何も言わなかった。というか、何も言えなかったのかもしれない。それから仕事が決まって、単身赴任の身となった。どうなるものかと思ったが、一緒に生活していた頃よりもふうふ関係は円満である。理由としては、気にしなくて(見られなくて)いいので、ストレスフリーであること。どうしても私の性格が細かい(妻は気にしない)ので、彼女の洗濯物の畳み方や干し方にはイライラする。私は洗濯物をハンガーに掛け、握りこぶし1つ分の間隔をあけて干す。洗濯物を取り込んだら、それらを洋服屋の店員のような手さばきで、きれいに畳んでタンスに仕舞う。彼女といったら干しっぱなしで、乾いたらハンガーに掛かってあるものを着ていく。タンスに仕舞うのは、シワが付くからという理由で、タンスに入っている服を着ていくことは滅多に無い。だから、物干し竿の洗濯物は増えていく一方で、新規の洗濯物を干す場所が無くなっていく。私の場合乾いた服はどんどん畳んでいって、家族一人ひとりまとめて置いていく。コンビニの品出し(賞味期限の古いものを前に置く)みたいに新しい洗濯物は下に重ねていく。お互い少しずつイライラが積み重なって、それらがピークに達すると大喧嘩に発展するのがお決まりのパターン。しょせん彼女(私)はお互い、育ってきた環境が違うから、と鼻歌で最後は自分を納得させるしかないのである。

それがどうだろう、一ヶ月も会わないでいると、妻に会いたくて仕方がないのである。それはあたかも恋人時代に戻ったかのように。よその夫婦関係にどうこう言うつもりは無いが、親友の一人は職場の若い女と不倫をしている。もう一人は2年間セックスレスで会話も無い。もう一人は夫婦円満だが定期的に風俗を利用している。私は妻が初めて関係を持った女性だ。男子校だった事も手伝って、女性に免疫が無かった。少しでも目が合ったり、話しかけられると好きになってしまうし、ボディタッチされたあかつきには「俺に惚れてるな」と勘違いしてしまう。妻は覚えていないかもしれないが、アプローチしてきたのは彼女のほうだ。おそらく。というのは、これは男性特有の勘違いも甚だしいというもので、女性に優しくされたり、気にかけてもらえるだけで好きになってしまうやろである。おそらく妻もその時は好きという感情は微塵も無かったと思う。大学に合格したときに妻からハガキが届くのである。当時はポケットベルが全盛時代でその翌年にPHSが流行するのであるが。私の番号を知らないためハガキを送ってくれたのである。内容は合格おめでとうと東京で遊ぼうと彼女のポケベル番号と彼女のプリントシール(通称プリクラ)が貼られていたのである。「へ?なんで」とその時は思ったのだが、大学で上京したときに最初に会ったのが彼女(現在の妻)である。

大学2年生の彼女、私は浪人したので1年生。久しぶりに会ったのは渋谷、ハチ公前。想像していたハチ公像は見逃してしまうほど小さくて可愛かった。そこで座って話をした。1年ぶりに見る彼女は肩まで髪が伸びていて、やわらかそうな姿に見た目は変わっていたが、話してみると地元訛りが残っていてどこか安心したのを覚えている。お台場に行ってパレットタウンの大観覧車に乗り、ヴィーナスフォートという商業施設でウインドゥショッピング、東京ジョイポリスでアトラクションやゲームを楽しんだ。遅めのランチを取った後、お台場海浜公園でぶらぶら散歩。次第に日が傾いてきてオレンジに染まっていく。その雰囲気がそうさせたのか、「付き合ってもいいかな、この流れはキスできるかも」と思っていた。2人でベンチに腰掛ける彼女の左手を優しく握る。やわらかくて冷たい。そして肩を寄せ合う。目の前にはレインボーブリッジが見えて照明が光っている。左手を彼女の右の頬に添えると瞳を閉じた。そうしてふたりの初めてのキスとなった。こんなにも女性の唇はやわらかいものかと心地よさと驚きが入り混じった。「俺と付き合ってください」と言うと嬉しそうに彼女はうなずいたのだった。それからほぼ毎日寝る前に電話をするようになったが、私は初め電話が好きではなかった。でも彼女のほうから言わせると、電話の回数は好きのバロメータらしく毎日電話をした。何日か経過した後、2回目のデートを約束した。中学で行った修学旅行ぶりの夢の国へのデートを。しかし、そこで事件は起こるのだった。今では我が家の語り草となっている。

前半は会話も弾み楽しんでいたのだが、人気のアトラクションには長蛇の列。1時間待ちなんて当たり前。当時はファストパスなんてもんは無かったからひたすら待った。とにかく会話が続かない。どういう話をすればいいのか分からない。男子校出身で部活バカの私にはこの場を乗り切る術が無いのだ。もちろん、前日までに『ホットドッグ・プレス』や『メンズノンノ』のデート特集で予習してきた。しかし、今までこんなに長い時間、女性と二人っきりでいたことなんて無いのだから限界もある。なんとかそこは乗り切ったのだが彼女はとてもつまらなそう。そこで彼女がしびれを切らしたのか、「写真を取ってもらうから、キャストさんに声かけて」と言った。日曜日だったこともあり、ゲストでごった返してなかなか見つからない。そのうえ私は大の人見知り、他人に声をかけるなんてできやしない。だから私は「お互い撮り合えばいいじゃん」と言った。それを聞いた彼女はみるみる怒りの表情となり、「じゃあ、いい!」とすたすたと先に行ってしまった。私はため息をついて下を向く。私の目の前を別のカップルが楽しそうに横切る。すると、彼女の姿が見当たらない。ここは広いパーク内、携帯電話は無い。あるのはポケベルだけ。メッセージを送るために入力する。「12(イ)71(マ)45(卜)04(゛)25(コ)」これでは埒が明かない。必死に探した。何千人の中からたった1人の彼女を見つけることなんてできるのか、できるはずがない。そう思いながらも1時間探し回って(おそらく彼女も怒りが収まり)、人混みがふっと途切れた場所に立っていた(ように見えた)。私が声を掛けるとホッとしたような表情で、私も安心して彼女を抱きしめた。そのまま帰ってもおかしくないし、ケンカ別れとなったかもしれない。諦めずに探してよかった。ただ、その事件をきっかけに主導権は彼女に移り、そのまま現在も彼女の尻に敷かれることになる。

単身赴任先から一時帰宅で3ヶ月ぶりに会う。駅に到着すると彼女は車で迎えに来てくれた。助手席の窓越しから見える彼女の横顔。ドアを開けると、私の顔を見るのだが、そっけない態度で大して表情に変化もない。これは別に今に始まったことではない。昔からクールなのだ。例えばレジ打ちの店員さんにも無表情でなんのリアクションも無くお釣りを受け取る。一方、私は必ず「ありがとうございます」を言う。なぜかというと、コンビニのアルバイトでレジ打ちの経験があり、何も言わずに商品やお釣りを受け取る客は嫌だったからだ。嫌というよりは「ありがとう」の一言があるだけで晴れやかな気持ちになるのにと思っていたからだ。無愛想でわがままな彼女。仕事から帰ってきて、夕飯はセルフサービス。妻は義母曰く、花嫁修業をしないで嫁になった、から彼女は料理が苦手。でもお菓子作りと酒のつまみは得意。これは今は亡き義父がお酒が好きで娘に作らせていたおかげ。また、妻の実家は個人商店だったこともあり、一家団欒でご飯を食べるという習慣があまり無かったのもある。いま、目の前にいる彼女は、大きなビーズクッションで昼寝をしている。安産型で大きい尻の彼女、その尻を好きな私。2年前、右の頬骨のあたりに大きめのシミができていることに気づいた私はとてもショックだった。もしかしたら彼女以上かもしれない。もちろん、彼女にはシミについて一切触れていない。こうやって大好きな妻が年齢を重ねていく(老いていく)のを見るのはとても辛い。でもそのシミもすべてが愛おしいのも事実。今は男性シンガーに夢中の彼女が可愛い。若い頃だったら嫉妬していたかもしれないが、久しぶりに新たな一面を見た。うちの夫婦は遠距離の方が上手く行っている気がする。もちろん子供たちが早くに手が掛からなくなったので、余裕ができたのもあるかもしれない。彼女が昼寝から目覚める。その妻を背後から抱き締め、右耳の下に鼻を着けて匂いを嗅ぐ。

そして私は彼女を看取って人生の最期を迎える決意を固めたのだった。