あにろっくのブログ

誰かの明日への生きる力になれたらと思います。いやまじめか!

サラリーマンとしての限界

 つい3年前まで約20年以上、サラリーマンをやっていた。社会に出ようという頃に就職氷河期となり、半ば諦めていたのだが中小企業に入り会社員となった。私の場合はちょっと特殊で、大学卒業するときには彼女の妊娠が判明していた。だから入社してからというもの、父親と社会人の1年目を同時に迎えたので、とにかく毎日が急ぎ足で過ぎていった。周りの協力のおかげで、妻とは喧嘩しながらも生活していた。

 サービス業でブラック企業だったので、有給休暇かというのは名前は聞いたことはあったが、どうやって取得すればよいのか分からなかったし、普通に休みを申請するのにも嘘をつかねばならず、休むと次の日出勤するのが気が引けて仕方なかった。社長が出勤すると、合間を見計らって必ず挨拶に行かなければならず、挨拶をしないと後から呼び出されて叱られたり、マークされ要注意人物とみなされた。そうやって上司も育てられてきたので、傍から見たら異常な世界だ。社員旅行で温泉旅館に宿泊し、宴会を始める前に宴会場で社長を始め上司たちの前に部下が並んで挨拶をする。それから宴会がスタートし、しばらくしてからまた社長を始め上司らに酒を注ぎに行く。しらばっくれて行かないと旅行から帰ってきた翌日に社長室に呼び出され、直属の上司と一緒に叱られるのだ。旅館のスタッフはさぞかし異様な光景を目の当たりにし驚いたことだろう。そうやって洗脳され社長の周りにイエスマンだけを残し、安い給料で長時間労働させるのだ。それでも周りの会社よりは基本給が高いのと仕事の内容自体はやりがいがあったのでなんとかやっていた。頭がいい人はすぐ辞めていった。その時は根性がない人たちだと思っていたが、私もすでに洗脳されていたのだ。だから中々、完全に退職するまでに年月を要した。入社してから3年で辞めることを伝えたのだが、社長と上司からやりたいことはないのかと聞かれ、やらせてもらえることを条件に退職を断念。その後もそこを一度辞めたが、転職先でうまく行かず出戻りをし、また5年位世話になり再び転職したときには43歳。建設作業員として働くもパワハラに負け施工管理の資格は取得したが1年で退職し、個人事業主となった。会社員として働いているあいだは一度も有給休暇を使ったことがない。また、退職が決まってからも有給休暇を消化することをしたことがないし、退職して翌日には新しい職場で働いていた。なんでそんな事をしたのかというと、もちろん家族があったからだ。35歳から会社員を卒業するまで本当に辛かった。心も壊して家族にも迷惑をかけた。それでもこうしてやってこれたのは、いつか独立してやるぞということと、営業とブラック職場で身につけた我慢強さと、笑いや音楽の力だった。完璧主義でなにかうまく行かないことがあると激しく落ち込み、気分が回復するまで時間がかかる。こだわりが強いところがあって、大きな音が嫌い。うつ病を発症していたか、どうかは病院で診断してもらわなかったので知る由もないが人間として生きていたとは到底思えない。今はフリーランスなので、責任は全て自分にあるが休もうと思えばいつでも休めるし、働こうと思えばずっと働いていられる。私には本当にフリーランスが合っている。幸いにもレギュラーの仕事が順調なので助かっている。副業も今は収入が減ったが、一日の飯代くらいにはなるので背に腹は代えられない。

 まだまだ人生は長い。長く走るためにはどうするか?日々考え一日を過ごす。たくさんの経験を積ませてもらっている。残りの人生を今度は若い人たちのために役立てたい。それが先を行く人の役目だと思う。もちろん自分も楽しみながら。ドンウォーリービーハッピー。