あにろっくのブログ

誰かの明日への生きる力になれたらと思います。いやまじめか!

鼻がムズムズ、くしゃみ連発。【再掲】

最近、また花粉症がひどくなりつつある。10年前に発症した。朝起きると目ヤニで目が開かないではないか、急にだ。そして鼻水が出て、くしゃみが止まらない。その日は病院へ花粉症と診断され、薬をもらう。あれから15年経過したが、症状はだいぶ和らいでいる。治ってはいないが、くすり無しで普通の生活ができている。ただ、起きた直後の鼻水とくしゃみ、風の強い日や雨上がりの晴天ではくしゃみと鼻水が止まらないこともいまだにある。田舎で育った私は2階に部屋があり窓を開けると目の前に杉の木が立っている。そんなところで育ったのにも関わらず、花粉症になった、社会人になって中間管理職になった時期からだ。色々原因はあると思うのだが、寝不足、ストレス、運動不足、食事等等。今から約30年前、水やお茶が売れるはずが無いと思われていたが現在はどうだろう、水なんかはサーバーごと売れているではないか。これからは空気も当たり前に売られる時代がやって来ている。特に都市部においては、匂いやウイルスなど目に見えない恐怖が私たちの日常を脅かしているように見える。一家に一台、一部屋に1台空気清浄機が当たり前の世の中になってしまうのだろうか。とはいえ、家にいるあいだはリラックスしてすごしたい。そんなことを解決してくれる商品がこれからも生まれるし、ヒットする。鼻水を流しながら今日も日常は過ぎていく。

フードデリバリーという仕事

 本業の他にフードデリバリーをしている。正直、自分の性格に合っている。基本的に人と会話することはないし、あ、もちろんお店の人とのやり取りや現金配達のときなんかは、お客さんと話したりしているが。話すのは嫌いではないが、相手と話す場合にどこを見たら良いのかとか自分のことをどう思われているのか気になってしまうので、厄介だ。だから人の説明や話を聞くのが苦手である。とくに話が長い人は、ほとんど話の内容が頭に入ってこない。話しているあいだ、他のことを考えてしまうので聞いた内容が覚えられないのだ。その反面、フードデリバリーはスマホの画面にきちんと注文の内容が示されるので忘れても心配いらない。それでもこの間、お釣りを10円少なく渡してしまうミスをしてしまったが。でも週に1,2回バイクに乗って走るのは気持ちがよく、気分転換になる。今の季節はとても寒いがしっかり防寒対策をすれば、夏の暑さと比べたら快適である。まして、ものすごく寒い日は出かける人も少ないので道路が空いていて、スイスイ走れて楽しい。

 でも、時々困ることがある。それは届け先に表札が出ていないことだ。何号室も消えていて例えば、真ん中の部屋は102号室だが、両端が101なのか103なのか分かりかねることがある。また、アパートに多いのだが、アパート名が無いところがある。そういう時は仕方なくお客さんに連絡をし、訊くしか方法がない。マップアプリも何度か利用されているお客さんの場所は良いのだが、新規のお客さんの場所は玄関の無い裏手を案内したりする(特に線路や川や谷付近の住所)ので手こずることがある。マンションだとお洒落すぎて読めない(笑)。一軒家だと同じ住所が存在することがあるので、特徴をメモ欄に記入してあるととても助かる。もう2年くらいフードデリバリーをやっているので慣れたが、初めて担当したエリアは利用者が多かったのと、コロナ禍でめちゃくちゃ忙しかった。特に雨の日だと注文が入ったことを知らせるベルが鳴り止まなかった。1日12時間稼働して2万円になったこともあった。今はフードデリバリーをやる人も増えたのと、エリアを変更したこともあり、時給に換算すると1,000円から1,500円くらいである。それでも待機時間は大好きなホットコーヒーを飲んだり、ツイッターを眺めたり、マンガアプリで漫画を読んだり、仕事をしているのか休んでいるのか分からない不思議な時間を満喫している。

 もし、この日記を読んでいる方でフードデリバリーをやるのなら、普通二輪免許を持っていて、125ccの原付二種のバイクを持っている人におすすめする。営業ナンバーにする必要がないし、50cc以下の原付バイクのように時速30キロ制限、二段階右折の縛りもないし、燃費もいいので小遣い稼ぎにはもってこいである。これからますます高齢者が増え、スマホを活用する中年が高齢者になる頃には、フードデリバリーはなくてはならない存在になる。高齢者になったら、何しろ歩けなくなるのだから。今はフード以外にも日用品なども配達している。そのうち小型の郵便とかも取り扱える日が来るのではないだろうか(あくまで憶測)大手の密林とかが買収して。

 今日も4時間働いて5千円行かないくらい稼いだ。毎度不思議なのは12時から13時のあいだは注文が入らないこと。今日も13時すぎるくらいに2件の注文が入った。いずれも中距離の配達だったのでいい金額になった。気になった方はぜひ、会社員でも自分で確定申告すればいいのだから(他人ごと)、やってみるといいのでは。今後ますます給料やボーナスだけでは生活が厳しくなっていくかもなので、年金も当てにならないし、思っているより人生は長いのでお金については今から考えておく必要がありますね。稼ぐことも大切だがいかにお金をかけずに暮らすかがポイントでしょう。もうそんなことは重々承知か。「収入は早く、支払いはギリギリまで待つ」という考えが大事です。

 

教えるということ2日目

 2023.02.10(金)新規契約のドライバー、Sさんの2日目の研修がスタートした。今日は実際に1日目の業務をやって頂いた。1日目とは違って今日は週末金曜日。めちゃくちゃ仕事が盛りだくさん。まあそうは言っても、自分1人で仕事をやることになったらやるしか無いのだから、研修とは言えいい経験になるはずだ。1日目と同様、Sさんは熱心に仕事に取り組む。あいにくの天気で前日の予報だと雪だったが、積もることはなく雨に変わった。濡らしてはいけない荷物もあるので、シートを掛けたりする手間が増える。伝票は雨で湿って書きにくくなる。合羽を脱いだり着ている暇がないので、濡れたままトラックに乗る。午前中は3件分の依頼をこなして、12時20分頃、昼休憩となる。昼休憩をどう使うのかは、ドライバーとしての資質が問われる。私の場合、お昼休憩は取らないのが基本。そもそも昼飯を食べない。理由は運転中、おそらく他の人よりも眠気を催すからだ。だからいつも、なるべく移動時間に充てることにしている。それ以外はコーヒーを飲んで動画やツイッターを眺めている。基本的にお客さんの現場や会社事務所はお昼休憩に入っていることがほとんどだが、お昼時間を半分の人数時間をずらしているところもある。こういう会社があるのはとても助かる。時間を上手に使えば、1件分の仕事を前倒ししてこなせるし、早く終われることもあるのだ。

 個人的な考えとして、こういう会社が増えれば飲食店やコンビニのレジ行列が減るのではないかと考える。もうそろそろ、同じ時間や期間に一斉に休日や休憩を取るのはやめにしてほしいと思う。休むタイミングや休憩は人それぞれ違っていいのだから。動物のエサの時間じゃないのだからと思ってしまう。ちょっと言い過ぎました、すみません。

 さて、午後は依頼先の指示で2人別で行動する。まあいい大人なのだから、私が付きっきりでなくてもできるだろうということで、Sさんに全て任せた。その後また合流し納品を終えて本日の仕事は終了となった。夕方の降雪を心配して依頼先が気を遣ってくれて早めに上がらせてくれたのだ。とてもありがたかった。帰りは高速道路で帰ることにした。2日間私のスパルタ指導に耐え抜いたSさんもに早く帰って、休んでもらいたかったからだ。トラックの運転はコツが必要だ。特に中年以上の世代は普通免許を取得すれば、4トントラックが運転できる。今の若者が普通免許を取得しても、軽トラックか1トントラックしか運転できない。それらは車体が小さいので乗用車の感覚で運転してもそれほど危険ではないが、2トン以上のトラックを操縦するには内輪差や死角を理解して運転しないと危ないし、実際にこの大きさのトラックでの交通事故が多い。そういったことをこの2日間でSさんに指導したのだから、疲労困憊だったのではないか。しかしながらSさんは、とても有意義な研修ができたと言ってくれた。もちろんお世辞なのは承知だが。せっかく仕事に就いたのに、事故を起こして損害賠償では商売上がったりである。これから1人立ちをするSさん、ぜひ無事故でドライバーを続けてほしい。私も今までなら、優しさだけでなんでも手伝いながらの指導をしていたのだが、独立後はそれは相手のためにならないと分かり、心を鬼にしてできるだけ手を出さないようにした。「教えることは教えないこと」でもあるということが、この2日間で私が学んだことだ。

教えるということ1日目

2023.02.09(木)は仕事を頂いている社長さんから、新規のドライバーの研修指導を頼まれた。

 長男ということで子供の頃から弟や妹の面倒を見てきたことから、気づいたときには教師を目指し、教師にはなれなかったがお客さん相手に教える仕事に就いた。このブログを読んでいる読者さんは「教える」ことにどういう考えをお持ちだろうか。私は一つの正解(おそらく不正解)がある。それは、「教えることは教わる」ということだ。禅問答のようで、なんかスンマセン。でも、実際のところ教えているつもりが、いつの間にかこちらが教わっていることにハッと気付かされるのだ。人前で授業をしていると客がつまらなそうに聞いている。家に帰って何がそうさせたのか落ち込み反省する。本を買って読んだり、人気講師などの話術を真似る。そうして日々アップロードし、お客様アンケートに高評価をいただくようになった。でもそれを良しとして指導しているとまた客が居眠りを始める。また落ち込んで勉強しそれを披露し評価される。毎日予断を許さないのだ。

 その仕事を辞めてから数年ぶりに人に教えることになった。毎朝カーラジオで聴く番組とツイートを我慢し、新規のドライバーさん(以下、Sさんとする)に付きっきりで指導する。運転の指導。私よりも4歳年上。幸い、明るく家族思いで前向きな考えの方。教えがいのある人でよかった。今日は私の隣に乗ってもらい仕事内容と運転をとにかく観てもらい、時々手伝ってもらうことに専念してもらった。荷縛りをするときにロープワークがある。代表的なものに「南京(なんきん)結び」というものがある。これさえ知っておけば事足りるのだが、しっかりと固定できるにはちょっとしたコツがいる。Sさんはぜひ身につけたいということでYou Tubeで予習してきたと言うのでやってみてもらったところ全然できない。私も初めはできなかったので、経験から体得したやり方で教えたところ、とても喜んでいただいた。運転の方はやはり悪癖が身についていて教えるのに厄介であった。どこの教習所で教わったのかと文句を言いたくなったのだが、教習所に罪はない。いつの間にか間違った方法、やり方が身についてしまったのだろう。まして私よりも年上の方たちは高速教習というものが無かった時代。しかしながら車の構造や知識は今の方たちよりも上である。とはいえ、お客様の品物や商品を運ぶので命を乗せていると同等の気持ちで運転をしなくてはならない。人の数だけある運転スタイルや走り方の中で無事に届けるのは本当に至難の業である。言い換えればプロドライバーの腕の見せ所だ。私はADHDの疑いがあるので、自分の言いたいことがうまく伝えられない。Sさんにうまく伝わったかは私には分かりかねるが、私自身は彼に声をかけるタイミングや言い方、表情などに気をつけて指導したが、私もこの仕事を始めたころを思い出し懐かしくなった。やはり、彼に教えてもらったな、と今朝聴けなかったラジオ番組をタイムフリーで聴きながらこの日記を書いている。


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あと3年で

 あと3年で団塊の世代と呼ばれる人口の多い層がほぼ75歳以上になるらしい。ちなみに75歳以上を後期高齢者という。末期高齢者ではない。私の父親も間もなくでその年齢となる。若い頃は会社と農業を同時にこなしていたが、もう5年前くらいから農業を引退し、今は食べる分くらいの野菜を畑で作っている。山登りや散歩が趣味になった。お酒は相変わらず好きだが、量は減ったようだ。最近は古傷の膝が痛むようだ。さて、世の中は高齢者に合わせて変化している。例えば新聞の文字はいつの頃からか少し大きくなった。自動車もバックモニターやブレーキアシスト、急発進防止機能などサポート機能がついている。ではなぜかと言うと簡単だ。人口が多いからお金がある。つまり、購買力があるからと言いたいが実は高齢者が若い人に合わせるのは困難だから。反対に若い人が高齢者に合わせるのは容易だ。

 高齢者の人口がピークを迎えると何が起きるのだろうか。例えば、病院の待ち時間が増えるだろう。スポーツクラブや施設が今後も増える。健康寿命を伸ばすためである。カフェや喫茶店、コンビニやファミレス、ファストフードの利用が増える。ネットショッピングやフードデリバリーの利用も増える。一方で労働力が減るので高齢者がますます長く働くようになる。定年も今より延長されるだろう。ロボット産業が活気づき、外国人労働者が増えるようになる。そうするとより一層の国際化が進み、外国人と日本人のボーダレス化が進むのではないだろうか。少しそんなことも考えながら、変化を恐れず未来を想像する時間を大切にしたい。

サラリーマンとしての限界

 つい3年前まで約20年以上、サラリーマンをやっていた。社会に出ようという頃に就職氷河期となり、半ば諦めていたのだが中小企業に入り会社員となった。私の場合はちょっと特殊で、大学卒業するときには彼女の妊娠が判明していた。だから入社してからというもの、父親と社会人の1年目を同時に迎えたので、とにかく毎日が急ぎ足で過ぎていった。周りの協力のおかげで、妻とは喧嘩しながらも生活していた。

 サービス業でブラック企業だったので、有給休暇かというのは名前は聞いたことはあったが、どうやって取得すればよいのか分からなかったし、普通に休みを申請するのにも嘘をつかねばならず、休むと次の日出勤するのが気が引けて仕方なかった。社長が出勤すると、合間を見計らって必ず挨拶に行かなければならず、挨拶をしないと後から呼び出されて叱られたり、マークされ要注意人物とみなされた。そうやって上司も育てられてきたので、傍から見たら異常な世界だ。社員旅行で温泉旅館に宿泊し、宴会を始める前に宴会場で社長を始め上司たちの前に部下が並んで挨拶をする。それから宴会がスタートし、しばらくしてからまた社長を始め上司らに酒を注ぎに行く。しらばっくれて行かないと旅行から帰ってきた翌日に社長室に呼び出され、直属の上司と一緒に叱られるのだ。旅館のスタッフはさぞかし異様な光景を目の当たりにし驚いたことだろう。そうやって洗脳され社長の周りにイエスマンだけを残し、安い給料で長時間労働させるのだ。それでも周りの会社よりは基本給が高いのと仕事の内容自体はやりがいがあったのでなんとかやっていた。頭がいい人はすぐ辞めていった。その時は根性がない人たちだと思っていたが、私もすでに洗脳されていたのだ。だから中々、完全に退職するまでに年月を要した。入社してから3年で辞めることを伝えたのだが、社長と上司からやりたいことはないのかと聞かれ、やらせてもらえることを条件に退職を断念。その後もそこを一度辞めたが、転職先でうまく行かず出戻りをし、また5年位世話になり再び転職したときには43歳。建設作業員として働くもパワハラに負け施工管理の資格は取得したが1年で退職し、個人事業主となった。会社員として働いているあいだは一度も有給休暇を使ったことがない。また、退職が決まってからも有給休暇を消化することをしたことがないし、退職して翌日には新しい職場で働いていた。なんでそんな事をしたのかというと、もちろん家族があったからだ。35歳から会社員を卒業するまで本当に辛かった。心も壊して家族にも迷惑をかけた。それでもこうしてやってこれたのは、いつか独立してやるぞということと、営業とブラック職場で身につけた我慢強さと、笑いや音楽の力だった。完璧主義でなにかうまく行かないことがあると激しく落ち込み、気分が回復するまで時間がかかる。こだわりが強いところがあって、大きな音が嫌い。うつ病を発症していたか、どうかは病院で診断してもらわなかったので知る由もないが人間として生きていたとは到底思えない。今はフリーランスなので、責任は全て自分にあるが休もうと思えばいつでも休めるし、働こうと思えばずっと働いていられる。私には本当にフリーランスが合っている。幸いにもレギュラーの仕事が順調なので助かっている。副業も今は収入が減ったが、一日の飯代くらいにはなるので背に腹は代えられない。

 まだまだ人生は長い。長く走るためにはどうするか?日々考え一日を過ごす。たくさんの経験を積ませてもらっている。残りの人生を今度は若い人たちのために役立てたい。それが先を行く人の役目だと思う。もちろん自分も楽しみながら。ドンウォーリービーハッピー。

 

Mくん

 私には小学校から長く付き合いを続けているMくんがいる。昔は(今から40年以上前)知的障がいとか発達障がいという言葉が出回っていなかった時代に、普通のクラスで授業を受けていた。その頃は「知恵遅れ」と呼ばれていた。Mくんは今で言う知的障がいがあり、どもり(吃音)があったが普通に話はできた。しかし、文字の読み書きや計算は難があった。だからとにかくからかわれたり、バカにされたりしていた。それでも小学校では暴力を振るわれることはなかった。私も初めのうちはからかったり、ケンカをしていたこともあったが、小学5年生くらいで、自分たちが大人になった時、きっと後悔するだろうと思って、それからは普通の友達として対等に付き合うようになった。中学に入ると他の小学校からやってきた事情を知らないやつが馬鹿にしたりいじめることがあったが、同じ小学校からの付き合いがある同級生でなんとかフォローしていた。Mくんはとにかく素直で、スケベで明るい。下級生からもいじられる存在だった。色黒で背が小さくとにかくじっとしていられない。授業中出歩くことはなかったが、とにかく勉強ができなかった。それでも中学を卒業すると、瓦屋に就職することができた。それから、私も会う機会がなくなり彼のことを忘れていたのだが、大学を卒業してから偶然コンビニで出会う。さらに真っ黒に日焼けして、口の周りに髭を生やし頭は軽く禿げ上がっていた。見た目こそおじさんになっていたが、話してみると中学の頃のままだった。いまは父親の造園土木業を手伝っているみたいで、日に焼けていたのだった。運転免許を取得しに教習所に通ったこともあったが、教習所の指導員が音を上げたのか、Mくんが辞退したのかは分からないが、運転免許は取得できなかった。

 そんな彼からの最近のLINEは「しごとやめて、なにっやっの」だった。「会社をやめて、なにやっているの」だと思うのだが、障がいのせいである。それでも、私に文字を打ってくるのだからとても嬉しくなった。彼の親はまだ元気であるが、彼を残してこの世を去るのはさぞかし心配だろう。それでも彼がいつもと変わらぬ態度で連絡をくれるのは、親御さんの頑張りのおかげである。彼の笑顔は母親譲りで顔もそっくりである。身近に障がいを持っている人がいる環境のおかげで私は、助け合いとか思いやりを自然と身に付けていったのではないのかなと思う。極端な表現かもしれないが許してほしい。障がいを持っている人がいることで、その障がいをケアする人や団体ができる。雇用も生まれる。研究や学問も生まれたりする。障がいは特別なことではないし、まして分け隔てるものでもない。視力が落ちたら眼鏡を掛けるように、障がいを持っていてもごく自然にサポートが受けられる世の中がいい。いいに決まっている。