あにろっくのブログ

誰かの明日への生きる力になれたらと思います。いやまじめか!

『2000年前から知っていた 死ぬときに後悔しない方法』を読んで

日本の自殺率は高い。交通事故死者数よりもだ。しかし時代が違っていたなら、自殺を認められていたなら、あなたは死を選択できるだろうか。

この本は、セネカというストア派古代ギリシアで生まれた哲学の流派)の哲学者であり、政治にも身を置いている人物。セネカが身内を亡くした知人たちを慰めるために、死の普遍性を語っている。セネカは権力者から強いられて自ら命を絶つ者を頻繁に目撃していたことから、死のあり方、とりわけ自殺に関する考察を深めることで、ストア派の教義に新たな価値を付け加えたという。また自身も皇帝ネロの教育係として仕えていたが、このネロの不興を買い、自殺を命じられたのであった。

ストア派」のストアの語源は「ストイック」だそう。ストア派では徳を守り、自然の本質を考える精神的な高みに至れば、虐げられている奴隷、貧困に苦しむ追放者、拷問にかけられている囚人であっても、幸福を得られるという教えを説いていた、と本書にある。

これまで私も、人の死に立ち会ってきた(葬式に参列した)が、どんなに身近な人の死であっても、不思議と涙は出なかった。むしろ、映画やテレビの感動的なシーンを観たほうがぼろぼろと涙が出る。ただ、いつかはみんな死んでしまうのでもう一度死とは何かを自分の中で整理したかった。タイトルに惹かれこの書籍を購入し、こうしてブログに残しておき、後でまた見返せるようにしておこうと思う。

本書より、「長く生きるよりも満たされて生きるほうが大事」、「死にかたがその人の生きかたを決める。「死が常に身近にある」ことを忘れない。「いずれは起こる」と言われてきたことをまるで青天の霹靂のように受け止める、われわれは実にちっぽけな存在で、わずかな力でも打ちのめされてしまうほど、もろくて壊れやすい。結局のところ、死という運命を受け入れることが、何よりも死の恐怖をやわらげてくれる。死にたいという者は、実際には死ぬことなど望んでないのだから、むしろ生きることや健康を神々に願うべきである。人の一生とは、死に向かう旅路にほかならない。『生と死は一つであり、より良い人生は、死を見つめることから始まる』以上、私のこころに深く刻まれた言葉である。

正直言って、このタイトルを手にとってレジに持っていったり、このタイトルを友人や家族が部屋の片隅で見つけたら心配されそうだ。しかしながら、今年46歳になった(90歳まで生きるとして、人生折り返した)ので、個人事業主となって2年目の現在、よく生きるために(いつ死んでもいいように)チャレンジしている。このブログもそうだし、ツイッターもそう。44歳で金髪にしたり、只今はロングヘアに挑戦中。スカートを履いて買い物に行きたい。とにかくこの本を読んだらまた自分の中で、新たな扉が開いて、エネルギーが満ちあふれている。またなにか思いついたら追記する。